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第819話

Author: 宮サトリ
弘次の命令を受けて、連中たちはついに満足げな笑みを浮かべた。

彼は視線を弥生に向け、大きく腕を振り上げて叫んだ。

「行けーっ!!霧島さんと子供たちを、黒田さんのもとに取り戻せ!」

その瞬間、弥生は何かがおかしいと直感した。

言葉を発する間もなく、腰をすばやく瑛介の腕が引き寄せた。

「行くぞ」

彼の声と同時に、弥生は慌てて陽平の手を引いて踵を返した。

「奴らを止めろ!」

普段は穏やかな健司も、怒声を張り上げて追いかけてくる。

出発前から想定していた、もし衝突が起きた場合、最優先すべきは弥生たちを安全に脱出させること。

そのために、誰かがその場に残って戦線を引き受ける必要がある。

弥生も、敵が動き出したのを見て、彼らの意図を悟った。

気づいたときには、すでに車に押し込まれていた。

まだ座りきられていないうちに、ひなのと陽平も一緒に車内に入れられ、健司がすぐに助手席へと乗り込んだ。

弥生は当然、瑛介も一緒に乗ると思っていた。

だが彼はドアを閉めもせず、立ったままそこにいた。

「あなたも来るんでしょう?」

彼女の目が不安そうに彼を見つめた。

「健司が君たちを安全な場所に連れて行く」

弥生の眉がきゅっと寄った。

「......じゃあ、あなたは?」

「僕の方のケリがついたら、すぐに向かう」

弥生は唇を噛みしめた。

何と言えばいい?「一緒に来て」と懇願すればいいのか?

「あなた......」

言葉に詰まる彼女の唇に、突然瑛介の顔が近づいてきた。

彼の大きな手が彼女の後頭部をそっと押さえ、そのまま彼女の唇にキスを落とした。

思わぬキスに、弥生は息を呑んだ。

反射的に突き放そうとした時には、彼はもう唇を離していた。

けれど去らず、額を彼女の額にそっと押し当てたまま、かすれた声で囁いた。

「待っててくれ」

そう言って、ゆっくりと彼女の後頭部から手を放し、健司に向かって命じた。

「彼女と......僕の子供たちを守れ」

健司はすぐに頷いた。

「任せてください。命に代えても、霧島さんをお守りします」

そして、瑛介は弥生の視線の中、静かにドアを閉めた。

弥生は窓に張り付き、彼の姿を見続けた。

その体が視界から完全に消えるまで......

「霧島さん、ご心配なく。社長ならきっと無事です」

前席から健司の声が優しく響い
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